Description
(今回のメンバー:キョン、やすお、ナル、ソキウス)
これがクイズの物理的な限界なのかも…?
今回のテーマは、「クイズ王からの『難問』」(前編)。
クイズプレイヤーは「やみくもな知識欲」に囚われているのではないかという「難問」に対して、イントロクイズの場合は特に発揮されるであろう「感性」との関係も意識しつつ、現在からの視点で我々なりに考えてみます。
(なお徳久は、現在はクイズアプリなどの影響で、「クイズ界」の中で「インタラクティブなコミュニケーション」が「すごく発達し」たため、このコラムが発表された「当時といまは条件が違」うということを述べている。[伊沢ほか 2020: 62])
【参照:クイズにおける「座学」と「暴力性」の回( https://spoti.fi/3cesvWf )】
まずソキウスは、今回の対話のきっかけとなる「クイズ王」のコラムの冒頭部分を引用。[西村 1993]
その中では、ある本を読んでどのような感想を抱いたかについて語ろうとしたときには「クイズとは全然別の膨大な言葉と感性が必要」になるという例を用いながら、クイズは「断片的な知識の寄せ集め」にしか過ぎないという「大変奇妙な」「ものの見方」に「気がついていない」ために、彼が言うところの「強くなれない」クイズプレイヤーへ向けて問いを投げかけていました。
また「やみくもな知識欲」については、「8センチCD-ROM一枚」が記憶できる量に人間は勝てるはずはなく、それに出来ないことを人間がやる必要に「気がついていない」プレイヤーが持っているものとしてそのような欲望の存在を挙げています。
この冒頭部分の引用を受けての第一印象を各々に尋ねていきます。
キョンはクイズに対する「意識の違い」を、ナルは「知識を横に広げ」る形でイントロクイズ中に自身が残す「雑多なコメント」を得ていくことを、やすおは(引用部分での問いからずれているかもと留保をつけた上で)クイズをきっかけに「興味」が「培われ」ていくことをここでの引用をきっかけにして語りました。
ここからは引用部分で挙げられていた論点として、「断片的な知識の寄せ集め」と「感性」の関係についての話へ。
ソキウスは、そのようなクイズとの向き合い方のキョンの現状を尋ねます。
この問いにキョンは、断片的なものを問うようなクイズという「考え方があっても良い」と、クイズが目指せるあり様についての可能性の話で返答。ソキウスはキョンが「存在を否定したくはない」のは分かるが、クイズをする以上は、それとの向き合い方は現に何かしらの態度として示されているはずなので、その点を確認しようと現状を再度問いました。
それに対しては「どちらかというと断片的な知識寄り」と自身の態度を振り返るキョン。
ただここでキョンは「断片的」という考え方は各々で違うものだろうとした上で、「音楽そのもの」をどれだけ知っているかという点に注目。この「音楽そのもの」という言葉が気になったソキウスは、その具体的な対象をキョンに尋ねてみると、楽曲の「バックボーンはいったん置い」た上で、ある楽曲の「フル尺」の「どこを切り取られても」答えることが出来るかという意味での「知識幅」のことであり、その点で自身はそこまで断片的ではないと語りました。
ただ西村の論