Description
本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3RlSn5S
(今回のメンバー:ナル、ソキウス)
そう思ったのならば仕方ない、とは言い切れないのかも…
今回のテーマは、「何が『カッコいい』のかを言語化してみる」。
特にナルがこれまでの回で自身の好きな音楽に対して使ってきた「カッコいい」という言葉。今回はこの「カッコいい」の使われ方について、その言葉の歴史も踏まえながら考えます。
そしてその中で、「カッコいい」という言葉と内輪感のある集団の関係についても触れてみます。
まずはナルにとっての「カッコいい」が意味しているものの実状を探ります。
ナルは、曲を表現する言葉は他にも色々あると一言述べた上で、一番に自身の意識に浮かぶのは「カッコいい」かどうか。「口癖」のようにこの言葉を使っています。それを受けて、どのような要素を以ってナルが「カッコいい」と考えているのかを、それ単体では複数の意味合いがありややこしい「カッコいい」ではなく、別の言葉で表そうとします。
その問いに対してナルが挙げたのは「魅力的」かどうかという言葉。
そしてその「魅力的」とは、楽曲に「また聴いてみたくなるリピート性」があり、それが「心地よい」と感じることだと語りました。
またナルはここで「カッコいい」ものは「カッコいい」と(あえて同語反復で)、もはや生理的な反射のようで具体的には表しづらいその感覚について言及。この感覚については、この回でも後に再度話題に挙がります。
ここでソキウスは今回の対話の内容をより良くするために、『「カッコいい」とは何か』[平野 2019]という、今回のテーマにうってつけな書籍からいくつか引用をしていきます。
まず引用したのは、「カッコいい」の条件。[平野 2019: 71]
いくつかその可能性を引いた上で、その中からナルが自身の感覚とマッチしたのは、先ほど挙げていた(ナル的な意味での)「魅力的」以外だと、「同化・模倣願望」。
ただこれまでの言葉を聞いた上でソキウスは、ナルは言及しなかったがその感覚に当てはまりそうなものとして「生理的興奮」をここでピックアップ。ナル自身も言語化に「行き詰っていた」その「興奮」に、ここからは「しびれる」という体感からも迫っていきます。
続いてソキウスはナルが言う「中毒性」とも関連させて、「カッコよくなくなった」と感じたものは自身の経験としてあるかを尋ねます。
これに対してナルは「たまにある」と回答しますが、ただその逆の例として、久々に聴いたものをまた聴いてみようとなった例も併せて提示しました。
ソキウスはその中でも前者の例について、かつては「カッコいい」と思っていたものが、自身の生理的興奮の度合いが下がることで「体で感じるものがなくなった」[平野 2019: 130]状態について引用しました。
さらにソキウスは、「カッコいい」という言葉が「格好が良い」という言葉からの歴史的な変化によって生まれているということをここで引用。
ジャンルごとに存在する理想とされているものと、ある対象との差の程度をそれを知っている人たちが判断する、そしてそれを判断する人にも序列があることを意味していた「格好が良い」という言葉が、後に個人主義による趣味の多様化から生まれた社会的な「空白」