Episodes
子どもたちの胸をワクワクさせるこのメルヘンは、オペラやバレエにもなり、世界中の人々に愛されています。
Published 02/15/22
Published 02/15/22
ピノキオは、イタリアのカルロ・コロッディが1881年に『あやつり人形物語』というタイトルで、子ども新聞に連載したものです。初めは、ピノキオが木に吊るされるところで終わっていましたが、好評のため次々に加筆されたそうです。
Published 09/17/21
親切で正直で明るい人と、その反対に意地悪で嘘つきで怒りっぽい人。どちらにいいことがあるでしょうね。
Published 09/15/21
ロンドン郊外に住む少女ウェンディの元に、ある夜、おとぎ話のピーターパンが、妖精のティンカーベルと共にやって来ました。ウェンディと弟たちのジョンとマイケルは、妖精の粉を振りかけてもらって、ネバーランドへ飛んで行きました。
Published 09/14/21
ロンドン郊外に住む少女ウェンディの元に、ある夜、おとぎ話のピーターパンが、妖精のティンカーベルと共にやって来ました。ウェンディと弟たちのジョンとマイケルは、妖精の粉を振りかけてもらって、ネバーランドへ飛んで行きました。
Published 09/13/21
京都のむかし話。このお話は『和尚と小僧』という題でも語られています。子どもが知恵を働かせて、大人に勝つ話です。昔の人たちは、見たところ弱そうなもの、小さいものに勝たせて、自らを励ましたのでしょう。一休さんはその代表になりました。一休さんは応永元年(1394年)京都に生まれ、のち小松天皇の皇子と言われますが、わけがあって安国寺の小僧となりました。一休さんの育った時代は、乱れに乱れていました。一休さんは、このような世の中を直さなければならないと『とんち』を使って教えを広め、人々を励ましました。それが、各地に『和尚と小僧』の話になって、今も語り継がれているのです。
Published 09/10/21
アンデルセンの童話には、自伝的な部分が多分に含まれていますが、中でもこの作品は、アンデルセンの生涯そのものを表現しているように思えます。貧しい靴屋の子として育った彼は、14才の時にデンマークの首都コペンハーゲンに旅立ちました。なんとかして舞台に立ちたいと思ったのですが、俳優になる望みも歌手になる望みも断たれ、絶望のどん底に陥りました。そこで劇場の支配人のコリンという人に見出されて大学にまで通うことができました。卒業後、旅に出て、その旅の印象から『即興詩人』が生まれて評判となり、それから童話作家として世界的な名声を得るようになりました。「僕がみにくいあひるの子だった時は、こんな幸せがこの世にあるなんて、夢にも考えたことはなかった」という感慨は、そのままアンデルセンの感慨なのでしょう。
Published 09/08/21
『わがままな巨人』『幸福の王子』で既にお馴染みの、ワイルドの童話です。『幸福の王子』でもそうでしたが、この話でも、作者は自己犠牲の美しさを歌い上げています。原作では、ナイチンゲールは「愛と命とどちらが尊いかしら。愛がなくて生きるってどういうことかしら」と問いかけているようです。
Published 09/06/21
埼玉県のむかし話。昔から、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるぞと言われました。このお話の登場人物は、医者、山伏、鍛冶屋のトリオでうまく仕組まれています。この中の誰が欠けても、このお話は失敗に終わります。このお話を通して『お前も持ち味を活かせよ』と言っているのでしょうか。それとも『どんな困難にぶつかっても、へこたれずに向かって行け』と言っているのでしょうか。
Published 09/04/21
イギリスの昔話です。自主独立の精神と堅実な生活設計が、家族を救いました。
Published 09/01/21
鳥取県のむかし話です。美しい嫁さまの、知恵と勇気。殿様が威張っていられるのは、見かけだけで、衣装を変えると門番から締め出されてしまいます。
Published 08/31/21
グリム童話の一つです。民衆の間に口から口へと語り伝えられていた昔話を、そのまま消滅させないようにと、グリム兄弟が編集しました。
Published 08/30/21
岐阜県のむかし話。このお話の原型は『雁とり爺』と思われます。灰をまいて枯れ木に花を咲かせるのは、焼畑農業で山の草木を焼いた灰で作物を育てるところから来たのでしょう。良いおじいさんは動物を限りなく愛するのに対し、悪いおじいさんは殺したり臼を焼いたりします。作物を作り出した昔の人々は、こうした心を憎み、懲らしめたのです。
Published 08/28/21
このお話はグリム童話の中にあるのですが、それより100年前のペローの童話集にも同じ話があります。でも、その二つを読み比べてみると、その違いがわかります。物語としてどちらが美しいかと言えば、きっとグリム童話の方でしょう。つまり、100年間人から人へと語り伝えられているうちに、話から無駄が削がれ、簡潔で力強いものになったようです。
Published 08/24/21
人々に福を分け与える茶釜というので、分福茶釜と書き、江戸時代の赤本になって親しまれて来ました。昔、茂林寺でたくさんの人たちが集まったので、お茶を出そうとしましたが、茶釜が足りなくて困りました。すると、和尚さんが一つの立派な茶釜を持って来て「これは八つの服を授ける茶釜、それで分福茶釜と言う」と説明したと言います。茂林寺には、狸にあやかって八百八の狸の置物が奉納されています。
Published 08/22/21
ルーマニア、トランシルバニア地方の伝説ですが、ヨーロッパの各地にこのような不気味な伝説が残っています。ドラキュラが蝙蝠に変身するのは、吸血蝙蝠からの発想かもしれません。しかし、この恐ろしい化け物にも弱みがあり、光、鏡、ニンニクの花などが苦手で、中でも十字架と来たらどうしようもないのです。キリスト教の世界では、それが当然なのでしょう。
Published 08/19/21
ハワイがキャプテンクックによって発見された時、ハワイの人たちの格好は、まだ裸に近い格好で、木の内側の皮をたたいて伸ばしたものを下半身に巻き付けている程度でした。大きな船がやって来たので、ハワイの人たちは驚きました。 何年かすると、たくさんの国々の船がハワイに来るようになりました。 まず一番多いのは太平洋でクジラを獲る人たちの捕鯨船でした。 クジラはその種類により、食用のマーガリンやろうそくの原料になるのと、工業機械の油に利用したので、石油が発見されまでは世界中でとても重要だったのです。 太平洋でクジラを獲りながら、ハワイに寄って、食糧などを調達しました。 次は、アメリカ大陸とアジアの主に中国との貿易の船です。 北アメリカの海にいるラッコの毛皮を中国に運ぶ船が、途中ハワイに寄ります。 ハワイには白檀という、とても良い香りの木があり、それを中国の人たちがたいそう好んだので、ハワイに寄った船の人たちはこぞって白檀を買い漁りました。 中国に持って行くと、とても高く売れたのです。 あっという間に、ハワイから白檀の木は無くなりました。 ...
Published 08/18/21
岩手県のむかし話。昔の人たちは、鳥や動物、木、時には石や草とも語っていました。それは、植物や動物にも魂を入れて、声無き声を聴くという世界なのです。でも、誰でも聴けるというものではありません。心が優しくて働き者の人だけが、聴けるのです。これと似たお話は、たくさんの外国にもあります。
Published 08/17/21
従順だった腰元が、お姫様と二人きりになると豹変する、なんと悪どい事でしょう。ここでは、この悪どい腰元は、魔女ということになっていますが、グリム童話では、普通の娘なものですから、尚更に恐ろしいお話となっています。
Published 08/16/21
九州地方のむかし話。山口県以南に分布し、沖縄でも伝説として語られています。伝説と言っても昔話に近く、長崎県壱岐郡では、百合若大臣は、桃から生まれ、幼名は桃太郎。美しい王様の姫の噂を聞き、風呂焚きになって住み込みますと、王様が、鬼ヶ島の鬼を退治したら姫をやろうと言うので、鬼退治に行くというお話もあります。
Published 08/14/21
このお話は、ローマの詩人アプレイウスの『アモールとプシュケ』と似ていますが、ヨーロッパ中に同じような話があり、それを美しい物語として結晶させたのがフランスのボーモン夫人(1711-1780)です。尚、この作品は、鬼才ジャン・コクトーが映画化して、さらに有名になりました。
Published 08/12/21
和歌山県のむかし話。このお話は、和歌山県日高郡道成寺に伝わるお話です。ここには昔から毛髪に関する色々な俗信があります。昔は「髪長く麗しきは心麗し」と言われ、髪の長いことが美人の条件とされていました。海中から拾い上げられた観音様は、姫を美しくして、恩返しをしたのでした。
Published 08/10/21
『かちかち山』は、いわゆる日本五大昔話(『桃太郎』『さるかに合戦』『舌切り雀』『花咲か爺さん』)の一つで、江戸時代に赤本として広まりました。『かちかち山』や『さるかに合戦』が持て囃されたのは、元禄忠臣蔵の影響で仇討ちものが流行したためのようです。
Published 08/08/21
ジャンヌ=ダルクは、1412年フランスの小村ドムレミの農家に生まれました。幼い頃から信心深く、13才の頃から「祖国を救え」と言う天使の声を聞き、その声に促されて故郷を出ました。当時フランスはイギリス軍に攻め込まれていましたが、ジャンヌ=ダルクはシャルル7世から軍隊を与えられ、目覚ましい働きでイギリス軍を撃退し、フランスでシャルル7世の戴冠式を行えるまでになりました。しかし、王の側近に妬まれ、負傷した彼女はイギリス軍に売り渡され、宗教裁判で異端とされて、1431年、19才で火刑に処されました。でも、百年戦争が終わると、彼女の汚名は雪がれ、1920年、聖女に列せられました。5月の第二日曜がその祭日で、フランスの国祭日となっています。
Published 08/05/21