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「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パリパラリンピック・ゴールボール女子日本代表のメンバーに内定した、安室早姫(あむろ・さき)選手です。 1993年、沖縄県生まれの31歳。1歳のときに病気で両目の視力を失いました。筑波大学附属視覚特別支援学校に高校から通い、そこで出逢ったゴールボールを2年生から本格的に始めます。大学3年生のときに女子日本代表入り。代表ではウイングもセンターもできるユーティリティプレーヤーとして活躍しています。2015年・2017年のアジア・パシフィック選手権、2017年ジャパンパラ競技大会で国際大会での優勝を経験。今年のパリパラリンピック女子日本代表に選ばれ、初の大舞台で金メダルを目指します。ゴールボールとの出逢い、大学時代に一度離れたゴールボールに再び戻ってきた理由、2015年のアジア・パシフィック選手権で国際試合初優勝を経験したときの心境、東京パラリンピックの代表...
Published 06/24/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすバスケットボール・女子日本代表の中心メンバー、北田千尋(きただ・ちひろ)選手です。1989年生まれ、和歌山県出身の35歳。生まれつき股関節に障がいがあり、車いす生活を送っていましたが、大学3年生のときに車いすバスケットボールに出逢い、2009年から本格的に競技を始めました。2012年から、関西の女子強豪チーム「カクテル」に移籍。全日本女子選手権では優勝6回、MVP受賞を4回経験。2016年から2018年までオーストラリアでもプレーしました。2014年から女子日本代表入りを果たし、2021年の東京パラリンピックではチーム内最多得点をマーク。大会終了後、代表のキャプテンに就任。パリパラリンピックではメダルを目指します。車いすバスケとの出逢い、リオパラリンピック予選敗退の直後に転職を決意した理由、豪州行きを決意した理由と成果、東京パラリンピック出場で感...
Published 06/17/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ水泳・宇津木美都(うつぎ・みくに)選手です。 2003年生まれ、京都市出身の21歳。生まれつき右腕のヒジから先がありません。3歳から水泳を始め、中学生のときにパラ競泳の道へ。2017年、パラ競泳日本選手権・50m平泳ぎでアジア新記録を樹立。2018年、アジアパラ競技大会・100m平泳ぎで金メダルを獲得しました。2021年、教員になる夢と競泳を両立するため大阪体育大学に進学。東京パラリンピックにも出場して、100m平泳ぎで6位入賞を果たしました。大学4年生になる今年はパリパラリンピック出場が内定。初のメダルを目指します。パラ水泳との出逢い、高校時代からのスランプをどう克服したのか、初の大舞台・東京パラリンピックでの戦い、去年の世界選手権・100m平泳ぎ4位でつかんだ自信、パリ内定のときに感じたこと、将来先生になりたい理由など、宇津木選手にいろいろお...
Published 06/10/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすカーリング・中島洋治(なかじま・ようじ)選手です。 1964年、長野県生まれの60歳。23歳のときに事故に遭い、車いす生活に。パラリンピック出場を目指して車いすカーリングを始めました。2004年「第1回日本車椅子カーリング選手権大会」にチームを結成して出場。初代王者に輝くと、第6回まで連続で優勝を経験。2010年にはバンクーバーパラリンピックで日本代表の司令塔・スキップを務めました。車いすカーリングの普及にも積極的に取り組んでいるほか、男女がペアで戦う「ミックスダブルス」で、次の冬季パラリンピック出場を目指しています。当時まだ日本に入って来たばかりだった車いすカーリングとの出逢いと、指導者もいなかった頃の試行錯誤、通常のカーリングとの違い、バンクーバーパラリンピックでの激闘と、リンク以外でも印象に残ったこと、今年3月、韓国で行われた「世界車いす...
Published 06/03/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ水泳・荻原虎太郎(おぎわら・こたろう)選手です。 2002年、千葉市生まれの21歳。現在、順天堂大学の4年生です。4歳のときに軟骨肉腫を発症。右肩・右脚などに機能障がいを抱えています。中学からパラ水泳を始め、複数の種目で日本記録をマーク。2018年のアジアパラ競技大会では、金メダルを含む4個のメダルを獲得し、2019年、ジャパンパラ競技大会では3冠を達成しました。2021年、東京パラリンピックでは4種目に出場。今年3月にパリパラリンピック出場が内定。初のメダルを目指します。パラ水泳との出逢い、アジアパラ競技大会など世界での活躍、順天堂大学に進学した理由、18歳で出場した東京パラリンピックでの激闘と大舞台で得た収穫について、昨年の世界選手権で上位入賞できた要因、パリに向けての抱負など、荻原選手にいろいろお話を伺いました。 See...
Published 05/27/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすマラソン・吉田竜太(よしだ・りょうた)選手です。 1981年、東京都生まれの42歳。24歳のとき、事故により脊髄を損傷して下半身不随となり、車いす生活に。その後、車いすマラソンを始め、頭角を現します。2013年、パラリンピック出場を目指すため、当時の勤務先だった品川区役所を退職。競技活動に専念できる環境を求めて、SUS株式会社に入社しました。去年の大分国際車いすマラソン、今年の東京マラソンでいずれも4位に入賞。5月に神戸で行われる世界パラ陸上で、パリパラリンピック出場権獲得を目指します。車いすマラソンを始めたきっかけ、公務員を辞めて競技一本に絞った理由、コロナ禍の中、東京パラリンピックへの挑戦で得たもの、パリパラリンピック出場に向けての意気込みと、出場権を懸けた今週金曜に神戸で開幕する「世界パラ陸上」への抱負、これからの目標など、吉田選手にいろ...
Published 05/20/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 車いす陸上のプロランナー・伊藤智也(いとう・ともや)選手です。 1963年、三重県鈴鹿市生まれの60歳。1998年、多発性硬化症を発症して車いす生活になりますが、翌年から車いすで陸上競技を始め、2005年からプロの車いすランナーとして活動。2008年の北京パラリンピックでは400mと800mの2種目で世界新記録をマークして金メダルを獲得しました。2012年のロンドンパラリンピックでは、200m・400m・800mの3種目で銀メダルを獲得。一度引退しますが、2017年の夏から再び現役に復帰して、2021年、東京パラリンピックに出場。今年のパリパラリンピック出場と、12年ぶりのメダル獲得を目指します。車いす陸上を始めたきっかけ、これまで出場したパラリンピックについて、初出場のアテネ大会・2冠を制した北京大会・銀メダル3個のロンドン大会の話、一時引退し...
Published 05/13/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 車いすフェンシング・笹島貴明(ささじま・たかあき)選手です。 1990年シンガポール生まれ、東京育ちの33歳。2014年、休暇中の事故により脊髄を損傷、車いす生活に。2015年、東京都が主催するスポーツ選手発掘事業に参加して車いすフェンシングに出逢い、2016年から日本代表として活動を始めます。国内外の大会に出場し、2018年のアジアパラ競技大会では男子フルーレ団体とサーブル団体で銅メダルを獲得しました。講演活動や普及活動にも取り組む一方、IT系企業・株式会社インターネットイニシアティブで社員として働きながら、パリパラリンピック出場を目指しています。車いすフェンシングとの出逢い、競技を始めてすぐに“パラリンピック金メダル宣言”をした理由、初の海外遠征で感じたこと、アジアパラ競技大会で初めて獲得したメダルにまつわる話、そのとき感じた日本代表の重み、...
Published 04/22/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、日本ブラインドサッカー協会(JBFA)事業推進部・大会運営グループマネジャーの宮島大輔(みやじま・だいすけ)さんです。 1992年、福岡県生まれ、東京育ちの32歳。子どもの頃からサッカー観戦が好きでしたが、18歳のときに事故に遭い車いす生活に。大学卒業後、2016年にボランティアスタッフとして日本ブラインドサッカー協会に関わり始めました。2017年に契約職員として協会入り。2021年、正職員となり、現在は日本代表の試合や、LIGA-i(リーガ・アイ)の試合など、協会が主催する試合の運営を統括する運営委員長を務めています。ブラインドサッカーとの出逢い、観る側から運営する側に回ってみようと思ったきっかけ、JBFAの正職員になった経緯、初めて運営を担当した大会でのアクシデントと、それをどう乗りきったのか、国内リーグ「LIGA-i」が発足した理由と、パラスポ...
Published 04/15/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすバスケットボール女子日本代表を指揮する、岩野博(いわの・ひろし)ヘッドコーチです。 1964年、茨城県生まれ、千葉県出身の59歳。高校時代に事故で脊髄を損傷して車いす生活になりました。リハビリ中に車いすバスケットボールと出逢い、地元の強豪・千葉ホークスに入団。26歳のとき日本代表に選ばれ、パラリンピックには1992年のバルセロナ大会からアトランタ・シドニーと3大会連続で出場しました。2002年からは、オーストラリアに渡り、プロ選手として活躍。2008年に現役を引退し、2010年から社会人女子チーム「カクテル」のヘッドコーチ、2021年から女子日本代表のヘッドコーチも兼任しています。4月17日から大阪で行われるパリパラリンピック世界最終予選で出場権獲得を目指します。車いすバスケットボールとの出逢い、2002年にオーストラリアへ渡った理由、現役時代...
Published 04/08/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、シッティングバレーボール・波田(はた)みか選手です。 2001年生まれ、埼玉県出身の22歳。小学1年生からバレーボールを始めますが、6年生のときに骨肉腫を発症。右足に人工関節を入れる手術を受けました。2015年から、床に座ってプレーするシッティングバレーボールを始め、中学生のときに早くも女子日本代表入り。チーム最年少ながらセッターとして代表チームを引っ張っていましたが、2021年、水頭症・脳腫瘍を発症して東京パラリンピック出場は断念。ボランティアとして代表チームを支えました。現在は再び女子日本代表に復帰。今年のパリ大会で、初のパラリンピック出場を目指します。シッティングバレーとの出逢い、セッターの役割と面白さについて、最年少で代表入りしたとき、年上ばかりのチームムメイトとどうコミュニケーションをとったのか、東京パラリンピック直前での水頭症・脳腫瘍発症...
Published 04/01/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、シッティングバレーボール日本代表・佐々木一成(ささき・かずなり)選手です。 1985年生まれ、福岡県出身の38歳。生まれつき両足と右手が不自由で、普段は義足をはいて生活しています。2013年、床に座ってプレーする「シッティングバレーボール」に出逢い都内のチーム・台東スマイルでプレー。2014年、初めて日本代表に選ばれ、2021年の東京パラリンピックにも出場しました。アスリート活動と並行して、ギークス株式会社で広報・サスティナビリティ推進部部長としてさまざまな発信を行っているほか、生きづらさをテーマにしたWEBメディア「プラス・ハンディキャップ」も運営するなど幅広く活躍しています。シッティングバレーとの出逢い、小柄な体格のハンディをどうカバーしているのか、一時代表落選を経験しながら再び返り咲いた原動力、東京パラリンピックでの激闘とその裏側、会社業務との...
Published 03/25/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ射撃・岡田和也(おかだ・かずや)選手です。 1969年生まれ、三重県鈴鹿市出身の54歳。つなひろワールド所属。2006年、仕事中の事故で左腕の上腕部から先を失いますが、趣味のゴルフを右腕だけで続け、その後、障がい者ゴルフの国際大会に出場。これをきっかけに、東京パラリンピック出場を目指して2016年から本格的にパラ射撃を始めました。2017年から強化指定選手に選ばれ、国内外の大会で活躍。去年の10月に中国・杭州で行われたアジアパラ競技大会で、日本のパリパラリンピック出場枠を獲得。自身の初出場に大きく前進しました。射撃を始めた理由、右腕だけでどうやって銃を支えて撃っているのか、射撃用の特殊な義手の話、障がいが重いSH2クラスから障がいが軽い選手と同じSH1クラスに移った理由、コロナ禍の影響もあって出場が叶わなかった東京パラリンピックと、パリに向けての...
Published 03/18/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、元パラアイスホッケー日本代表で、パラスポーツチャレンジャーの永瀬充(ながせ・みつる)さんです。 1976年生まれ、北海道出身の48歳。高校1年生のとき、神経の難病を発症してヒザから下がまひ。歩行が困難になりました。1995年、19歳のときに、脚に障がいを持った選手がそりに乗ってプレーするパラアイスホッケーを始め、ゴールキーパーとしてプレー。日本代表の守護神として活躍しました。パラリンピックには、1998年の長野大会から4大会連続で出場。2010年のバンクーバーパラリンピックでは準決勝で強豪・カナダを破る大金星を挙げ、銀メダルを獲得しました。また「パラスポーツチャレンジャー」として、現在も様々な競技に挑戦。パラスポーツの普及にも取り組んでいます。パラアイスホッケーとの出逢い、まさに“1期生”としてプレーした創生期の日本代表について、初めて出場した長野パ...
Published 03/11/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ卓球・八木克勝(やぎ・かつよし)選手です。 1990年生まれ、愛知県豊橋市出身の33歳。生まれつき両腕に障がいがあり、ヒジから先が短いため、手を伸ばせません。中学1年生から卓球を始め、鍛え上げられた足腰を生かした豊富な運動量を武器に国内外の大会で活躍。立ってプレーするクラスで2番目に障がいが重い「クラス7」で戦い、2021年、東京パラリンピックにも出場しました。去年、中国の杭州で行われたアジアパラ競技大会・男子シングルスで、東京パラリンピックの金メダリストを破るなどの活躍を見せ優勝。パリパラリンピック出場内定を勝ち取りました。卓球との出逢い、手を伸ばせない状態でどうやってプレーしているのか、それをカバーするためのフットワークの鍛え方、古武術をトレーニングに取り入れている理由、憧れの舞台・東京パラリンピックでの戦いについて、大会後競技をやめようか迷...
Published 03/04/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラ馬術・城寿文(じょう・としふみ)選手です。1974年生まれ、福岡県出身の49歳。高校生のときに馬術部に入部。卒業後は、乗馬用の馬に蹄鉄を打つ装蹄師として活動しながら、馬術の競技会に出場していましたが、2019年、事故に遭い両脚を骨折。右脚に感覚障がいと機能障がいが残りました。2020年からパラ馬術に挑戦。この年、全日本(ぜんにほん)パラ馬術選手権に出場して、最も障がいが軽い「グレードⅤ」のクラスで優勝しました。今年行われるパリパラリンピック出場を目指しています。脚に障がいが残ったあと、それをどうカバーして馬術を続けたのか、東京パラリンピックを観て受けた刺激、障がいをカバーするためルール内で許されている馬具の改良について、馬とどうコミュニケーションを取るのか、演技の際に特に気をつけていること、リズムの合わせ方、パリに向けての抱負など、城さんにいろ...
Published 02/26/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすマラソン・喜納翼(きな・つばさ)選手です。 1990年生まれ、沖縄県うるま市出身の33歳。中学・高校生時代はバスケットボール選手として活躍。沖縄県代表にも選ばれました。大学1年生のときトレーニング中の事故により車いす生活となり、2013年、車いすで陸上競技を始めます。2016年、大分国際車いすマラソンで初マラソン・初優勝の快挙を成し遂げ、2019年の大分国際では、1時間35分50秒の日本記録をマークしました。東京マラソンは、2020年・2022年と2度優勝。2021年の東京パラリンピックでは7位に入賞。今年行われるパリパラリンピックに2大会連続出場を目指しています。車いす陸上との出逢い、初マラソンとなった2016年・大分国際車いすマラソンでの優勝劇について、海外マラソン出場で得たもの、目標でありライバルでもあるレジェンド・土田和歌子選手の存在に...
Published 02/19/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラアーリェリー・大江佑弥(おおえ・ゆうや)選手です。 1988年生まれ、岡山県倉敷市出身の35歳。高校時代は倉敷商業で、硬式野球部のレギュラーとして活躍しました。20代のとき3度にわたり脳出血を発症。右半身まひの障がいが残りました。退院後、口で弓を引くスタイルでパラアーチェリーを始め、国内外の大会で活躍。去年の11月にタイのバンコクで行われた国際大会で、日本に史上初めて開催国枠以外でパラリンピック出場枠をもたらし、世界ランキングもトップ10入りを果たしました。現在は倉敷市の職員として勤務しながら、今年行われるパリパラリンピック出場を目指しています。アーチェリーとの出逢い、左手ではなく口で弓を引くスタイルにした理由、初めて出場した米ラスベガスでの国際大会と初出場・初優勝の快挙で得た自信、倉敷市役所に転職した理由と市のバックアップについて、日本の出場枠...
Published 02/05/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ陸上・車いすの鈴木朋樹(すずき・ともき)選手です。 1994年、千葉県館山市生まれの29歳。トヨタ自動車所属。生後8ヵ月のときに遭った事故で脊髄を損傷したため、幼い頃から車いす生活になりました。小学5年生から本格的に車いすで陸上競技を始め、トラック競技と車いすマラソンの二刀流に挑戦。2019年、車いすマラソンの世界選手権で銅メダルを獲得します。2021年、東京パラリンピックに出場。4×100mユニバーサルリレーでアンカーを務め、銅メダルに輝きました。今年開催されるパリパラリンピックで、2大会連続メダルを目指します。陸上との出逢い、影響を受けたパラリンピアン・花岡伸和さんに教わったこと、トラック競技に加えて車いすマラソンも始めたきっかけと、そちらに重点を移した理由、東京パラリンピックで得た経験とユニバーサルリレーでのメダル獲得について、パリへの抱負...
Published 01/29/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、窪田幸太(くぼた・こうた)選手です。 2000年、千葉市生まれの23歳。生まれつき左腕をほとんど動かせず、右腕だけを使って泳ぐパラスイマーです。0歳からスイミングスクールに通い、小学5年生から本格的に競泳を始めました。その後、日本体育大学に進学。水中に潜ってキックする「バサロキック」をマスターしてスピードアップに取り組み、2021年、東京パラリンピックに出場。去年の8月に行われたパラ水泳世界選手権・100m背泳ぎで銀メダルに輝き、パリパラリンピックの日本の出場枠を獲得しました。今年はパリ大会出場と、初のメダルを目指します。水泳を本格的に始めたきっかけ、日体大で出逢い、現在専属コーチを務める鷲尾拓実コーチから学んだこと、背泳ぎをメインにした理由、東京パラリンピックで得た貴重な経験について、去年の世界選手権銀メダルで見えた課題、パリへの抱負など、窪田選手...
Published 01/22/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、ゴールボール女子日本代表のキャプテン・高橋利恵子(たかはし・りえこ)選手です。 1998年、広島市生まれの25歳。先天性の目の病気により、幼い頃から視覚に障がいを持っています。高校から筑波大学附属視覚特別支援学校に進学。2年生だった2014年、ゴールボールに出逢い、筑波大学進学後の2018年、世界選手権で初の日本代表入り。2019年のアジア・パシフィック選手権ではセンターでフル出場。優勝に貢献しました。2021年には東京パラリンピックに出場して、銅メダルを獲得します。2023年から女子日本代表のキャプテンに就任。11月のアジア・パシフィック選手権でチームを準優勝に導き、今年行われるパリパラリンピックへの出場を決めました。ゴールボールとの出逢い、初めての国際試合、長年日本代表のセンターを担っていた先輩・浦田理恵選手から受けた助言、東京パラリンピックで初...
Published 01/15/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラアイスホッケー日本代表キャプテン・熊谷昌治(くまがい・まさはる)選手です。 1975年、長野県出身の48歳。2008年、事故で右足のヒザから下を失います。その後、そりに乗ってプレーするパラアイスホッケーと出逢い、2010年から本格的に競技に取り組み、始めて3ヵ月で日本代表入り。2018年、平昌(ピョンチャン)パラリンピックにも出場しました。今年4月から日本代表のキャプテンに就任。10月の世界選手権では日本のBプール全勝優勝とAプール昇格に貢献しました。現在は地元のクラブチーム「長野サンダーバーズ」で若手の育成にも力を入れる一方、2026年、ミラノ・コルティナダンペッツォで開催される冬季パラリンピック出場を目指しています。 意外な縁で取り組むことになったパラアイスホッケーとの出逢い、競技経験が数ヵ月の状態で日本代表になったときの努力、平昌パラ...
Published 01/05/24
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、身体障がい者野球・小寺伸吾(こでら・しんご)選手です。 1989年、兵庫県出身の34歳。小学生のときにソフトボールを始め、高校・大学では硬式野球部でプレーしました。卒業後の2013年、事故で左手首から先を切断。接合手術を受け成功しましたが、左手の機能はまだ完全に回復していません。2015年、社会復帰と同時に、地元・兵庫に拠点を置く身体障がい者野球の強豪・神戸コスモスに入団。すぐに頭角を現し、走・攻・守3拍子揃ったプレーで日本代表にも選ばれました。今年9月に行われた「第5回...
Published 12/25/23
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ空手・今井俊浩(いまい・としひろ)選手です。1973年、群馬県出身の50歳。小学3年生から空手を始め、社会人になっても続けていましたが、徐々に視野が狭くなる網膜色素変性症のため、42歳からパラ空手の全日本選手権に出場を始め、7度優勝を飾っています(「形」の部)。今年10月、世界パラ空手道選手権・視覚障がいの部に初めて出場し優勝。50歳で金メダルの快挙を達成しました。現在は地元の群馬県前橋市で家具メーカーを経営しながら、自身の道場で後進の育成も行っています。パラ空手転向を決意したきっかけ、長年しのぎを削るライバル・大庭康資選手から受ける刺激について、初出場初優勝の快挙を達成した世界選手権について、道場で後進の選手たちに教えている心得、今後の夢など、今井選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener for...
Published 12/17/23