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「百は10の10倍」と辞書にあります。「もも」とも読みます。「百の説法も及ばぬ」...
Published 05/06/24
天気は「下り坂」とは言うけれど、「上り坂」とは言わないですよね。Facebookで僕の先輩記者が「これは、なぜなんだろう」という疑問を投げかけていました。今回はこれについて、考えていきたいと思います。 この先輩は、「地政学的に言えば、坂は上から歩く人には下り坂で、下から歩く人には上り坂だ。そこにいる人の立ち位置で表現が異なるだけで、本質は変わらない」って言うんです。 確かに標高500メートルの場所が坂道だとして、そこにいる人が上るか下るかで表現が違います。ところが、標高500メートルにいるということは変わらないですよね。上に向かって歩くか、下に向かって歩くかという行動の違いについて、これをなぜ天気に使うのだろう、というんです。 これの表現の背景をちょっと考えてみたらどうかな、と思うんです。例えば、雨の日に「天気が悪い」っていう言い方をしますよね。晴れの日は「いい天気」っていうでしょ。 ところが、天気自体にいいも悪いもないはずです。「いい」というのは、僕たちにとって都合がいいとか、気分がいいとかいう感覚です。いわば主観です。晴ればかり続いて雨が降らなければ、雨乞いをするわけです...
Published 04/29/24
新入社員研修などが始まっているんでしょうか。そのうち上司に注意されたりするでしょ。その時の対処法をことばの観点からお伝えしようと思います。 次の例をちょっと見てください。 1)「僕のお弁当を友達に食べられた」 2)「僕のお弁当を友達が食べた」 この違い、わかりますか? 1が「食べられた」だから受動態、受け身の言い方です。2は「食べた」だから能動態です。言い方の違いが精神的に大きな違いを生むんです。 それは、受け身だと被害者意識が生まれると言うことです。「僕の大切なお弁当を、友達に食べられたなんて。腹が立つ!」っていう感じになるでしょ。 「僕のお弁当を友達が食べた」だと、フラットな感じになります。「仕方ないなあ」という許容が生まれます。受け身の被害者意識が、意外に自分を追い詰めてしまうんです。 普通「上司に怒られた」って言いますよね。この時点で、上司と自分に精神的な序列をつくっているんです。納得がいかないと「なんで私が・・・」って思い出して、夜も寝られなくなる。その結果、お酒や甘いものに走って、体がどんどん大きくなってしまうんです。 「彼女に振られた」「彼氏に振られた」も同様...
Published 04/22/24
議論と論議、習慣と慣習、運命と命運、平和と和平、途中と中途、息子と子息、父親と親父、愛情と情愛のように、熟語の漢字をひっくり返しても成立することばがあります。これについて、調べてほしいという「つみたて兄さん」からのリクエストが届きました。今日は、これについて考えてみたいと思います。 これについての研究はあまりないようなのですが、酒井芳徳さんという方が「可逆語を探す」という本を出しているくらいです。大きく分けて3つに分類できるようです。 その1つは「逆にしても意味の変わらないもの」。 「途中」と「中途」は「道の半ば」とか「物事が進行している中頃」という意味で変わらないですよね。意味は同じだけれど用法は違います。同じ意味では途上ということばもあります。 「途中」は、広く、ものごとが始まってから終わるまでの間のどこかの点を指します。 「中途」は、物事の進行が、まだ中ほどであり、まだ終わっていないという点に意味の中心が置かれているんです。 2つ目が「意味を共有するか関連性の高いもの」。 「議論」と「論議」は、意味は非常に近くて関連性がありますよね。「議論」は「それぞれの考えを述...
Published 04/15/24
「一寸法師」っていう昔話を読んだことがあると思います。この「一寸」って尺貫法での単位です。一寸は大体3.03㎝。尺貫法というのは、長さの単位を尺、質量の単位を貫、体積の単位を升とする日本古来の度量衡のことなんです。 今のメートル法が基準となったのは、1885年(明治18年)にメートル条約に加入後のことなんです。1891年(明治24)にメートル法を基準として、尺・坪(面積の単位)・升・貫を定義て、1958年(昭和33)までメートル法と併用されていました。 でも、今でもこうした単位は、ことばの中に生きているんですね。小さな生き物にも魂が宿っているんだという意味で使われる「一寸の虫にも五分の魂」ということばもあります。「一寸先は闇」は「未来のことは全く予測することができない」という意味だし、「一寸下は地獄」は、船乗りの仕事が危険だということに使われて「薄い船板一枚の下は底深い海だ」という意味です。「板子一枚下は地獄」なんて言い方もあります。「寸分の狂いもない」「寸分違わず」とかね。「寸を詘(ま)げて尺を信(の)ぶ」というと「小事にこだわらずに大事を成し遂げる」とか「小利を捨てて大利...
Published 04/14/24
「一寸法師」っていう昔話を読んだことがあると思います。この「一寸」って尺貫法での単位です。一寸は大体3.03㎝。尺貫法というのは、長さの単位を尺、質量の単位を貫、体積の単位を升とする日本古来の度量衡のことなんです。 今のメートル法が基準となったのは、1885年(明治18年)にメートル条約に加入後のことなんです。1891年(明治24)にメートル法を基準として、尺・坪(面積の単位)・升・貫を定義て、1958年(昭和33)までメートル法と併用されていました。 でも、今でもこうした単位は、ことばの中に生きているんですね。小さな生き物にも魂が宿っているんだという意味で使われる「一寸の虫にも五分の魂」ということばもあります。「一寸先は闇」は「未来のことは全く予測することができない」という意味だし、「一寸下は地獄」は、船乗りの仕事が危険だということに使われて「薄い船板一枚の下は底深い海だ」という意味です。「板子一枚下は地獄」なんて言い方もあります。「寸分の狂いもない」「寸分違わず」とかね。「寸を詘(ま)げて尺を信(の)ぶ」というと「小事にこだわらずに大事を成し遂げる」とか「小利を捨てて大利...
Published 04/08/24
きょうは4月1日、エイプリルフールです。4月1日の午前中は、軽いいたずらでうそをついたり、人をかついだりしてもとがめられないという風習。18世紀頃から西洋に起こって、大正頃から日本にも伝わったと言われます。きょうは、エイプリルフールの話ではなく、1日を「ついたち」と読むことについてお話ししたいと思います。 結論から言うと「ついたち」は「月立」が変化したことばだと言われています。「立つ」には「始まる」「現れる」という意味があります。月の満ち欠けに合わせて一月としていました。月が最初に現れる日を「月立」と言っていたのです。 新月が最初なので月は見えません。それが少しずつ姿を現して30日目が「つごもり」で、「月隠り(つきごもる)」つまり、月の光が全く見えなくなるころ。陰暦で月のおわりごろ。月末。また、月の末日。転じて、一般に、月の下旬や月の最終日。のことで、これを「みそか」とも言ったんです。「みそか」は「三十日」とも書きます。「三十路」とか和歌のことを「三十一文字」なんて言うでしょ。「おおつごもり」というのが、1年の最後の日、つまり「大晦日(みそか)」のことです。 「つきたち」が...
Published 04/01/24
接続詞についての本を出したところ、「日本人なら、ほとんど感覚で接続詞は使える」という意見があったんです。確かに、この番組でも日本に生まれ育った人だからことばを知らない人はいないし、文章が書けない人もいない、ということを話したことがあると思うんです。 でも、日本語を使っているからことばも文章も使いこなせるわけではないんですね。じつは、そこに日本語の問題があるんだと思うんです。感覚で覚えたことをことばにできないんです。ことばの言語化とでもいえばいいのか。最近は本を読む人も減ってきたという話ですし、街から書店が消えていく時代でしょ。 先日、ちくま学芸文庫の『高校生のための文章読本』を買ったんです。...
Published 03/25/24
先日朝、「きょうは夜、仕事で五反田に行く」と娘に話したんです。昼頃になって「オランダってどこにあるの?」って娘が聞いてきたので、「ヨーロッパだよ」って答えると、「パパはきょうヨーロッパに行くの?」って言うんです。何のことだかわからなかったので「なんで?」と聞き直すと「だって、きょうオランダに行くって行ってたじゃない」。「オランダじゃなくて五反田だよ」。「え。五反田って日本?」だって。 オランダと五反田、似ているような似ていないような。娘にとっては、五反田よりオランダの方が馴染みがあったんでしょうね。こういう聞き間違えありますよね。江川さんはアナウンサーだから、気を使うんじゃないですか? 僕も小学校に入学して間なしの頃、担任の先生が休み時間に「牧場にいって用を足してらっしゃい」と声を掛けたんです。家に帰って母に「今日、牧場でおしっこしたんだよ」と報告すると、笑って「それはご不浄」だって言うんです。トイレのことを「ご不浄」っていうなんて知りませんものね。 子どもの頃「ふるさと」っていう唱歌を習ったときに「うさぎおいしかの山」っていう歌詞があって「ウサギを食べて美味しかった」とい...
Published 03/18/24
最近、議論することを避ける傾向にあるような気がするんです。議論をすると相手を傷つけてしまうという気持ちがあるんでしょうか。キレる人はいるけれど、真剣に怒る人が減ってしまったような。キレると怒るの違い、考えてみます。 どちらも同じような意味なんですが、キレるのは文字通り、ナイフなどでスパッと切るところから派生したことばなので、自分を正当化させるために見境なく相手を傷つけることになるんですね。そこには表現する言語がないので、何を考えているのかが伝わらないのです。怒るのは、相手が間違っていることを正そうとする意志が含まれています。だから、怒るは、まだ議論や会話の余地がある様な気がしています。 「怒る」と違い「キレる」の場合、議論や会話は、そこで止まってしまいます。専制政治って、ある一人権力を握って支配する政治制度です。ここには、もはや議論も会話もありません。まさに国民とキレてる状態。 民主主義って言論コストがかかるシステムなんです。多数決が民主主義ではなくて、少数意見を聞いて議論することが前提なんです。だから、時間もかかる。タイパの時代にはそぐわないと思う人が出てくるのもわからな...
Published 03/12/24
前回、「ご苦労様」「お疲れ様」「了解しました」について、お話ししました。これについては、「つみたて兄さん」という方からお便りを頂戴していたことを紹介するのを失念していました。申し訳ありませんでした。...
Published 03/04/24
丁寧に言ったつもりが、実は失礼にあたっているんじゃないかと、悩む人が多いらしいのです。間もなく社会人になる人たちにとっては、ビジネスマナーとしても気になりますね。 今回は、「ご苦労さま」「お疲れさま」「了解しました」について、考えていきます。 「ご苦労様」は、「『ご苦労』をさらに丁寧にいう語。普通,目上の人には使わない方がよいとされ、『お疲れさま』を使うことが多い」と辞書にも載ってるんですね。 「雨の中をジョギングとはご苦労なことだ」というように、「ご苦労」という言い方には、「人の努力や骨折りをひやかしたり、やや皮肉をこめたりしている場合があります。こうしたことから目上には使わない方がいい、と言われているのかも知れません。 「お疲れ様」は、仕事などの疲れをねぎらうときに使います。仕事を終えて帰るときの挨拶としても使いますよね。「お疲れ様でした」とか「お疲れさまです(でした)」は、同輩や目上の人にも使えると、辞書にも書いてあります。 「了解しました」は、「事情を思いやって納得すること。理解すること。のみこむこと」とあります。「了承」とも言いますよね。これを目上に使ってはいけ...
Published 02/26/24
前回、「親父の繰り言」と言ったら、江川さんが「それどういう意味ですか?今度聞かせてください」ということでしたので、今回は、「繰り言」を機に、もう使われなくなった「死語」について、話をしてみようと思います。 「繰り言」は「繰り返しいうことば」という意味です。どちらかというと、愚痴などを何度も繰り返して言うことなので、いい意味では使われません。辞書には「老いの繰り言」という例文が載っています。つまり、老人の愚痴ということ。「最近の若いもんは〜」みたいな感じですかね。 「繰り言」は、流行語ではないので、時代によって使われなくなるようなことばではないのだけれど、すでに三世代同居ということもないし、そういうことばを使うシチュエーションがないのかもしれません。 ジェンダーの意識が広がって消えたことばの使い方もあります。たとえば、野球のキャッチャーを「女房役」なんて少し前まではよく使われていたけど、いまはもう使われなくなった。これは「女房役」は、ピッチャーの球を受ける受け身の役目であったり、ピッチャーを補佐しているという意味合いで使われてきたように思うんです。ところが、いまはキャッチャーと...
Published 02/19/24
「この答え、違くない?」とか「この答え、間違ってなくない」とか。「・・・くない」の使い方がしっくりこないんです。ほかにも「違かった」「違くて」なんて言い方もありますよね。 これは、「うまくない」「正しくない」という形容詞の否定のときに使う「・・・くない」が、間違って「違う」という動詞に接続された形なんです。本来、形容詞の活用になるものが、動詞の活用語尾についた形です。 「うまい」は、「うまくない、うまい、うまければ、うまくて」というように、あとに続くことばによって、語尾、言葉の後ろが変わるんです。これを活用と言います。ここに「うまくない」という形が出てきます。「違う」という動詞の場合は、「違わない、違う、違えば、違った、違って」となります。 だから、本来「この答え、違わない?」という言い方になるんですが、形容詞の活用が入り込んでしまったんですね。中には、「違う」は、動詞だけれど、状況を表す形容詞的な意味合いが強いので、形容詞の活用に引きずられたという意見もあるけれど、確証は持てない感じです。 「うまくなくない?」は、「うまくないことはない」という二重否定で、結果として「うま...
Published 02/12/24
きょうは、1月にすばる舎から出版した『伝わる文章がすぐ書ける接続詞のコツ』の中から「そして」について、お話ししたいと思います。 のっけから宣伝になってしまいますが、お陰様で、丸善丸の内本店、池袋のジュンク堂本店、新宿紀伊國屋本店で大きく展開していただき、好調な滑り出しです。兵庫県の未来屋姫路大津店ではポップを作ってくださったりして、並べてくださいました。ありがとうございます。 「そして」には、大きく分けて二つの意味があります。それが「継起」と「並列」です。「継起」というのは、前の話から続く内容を導く役目です。「並列」は同時に成り立つことを表します。 「家に帰って、お風呂に入り、パジャマに着替え、そしてゆっくりお酒を飲む。至福のひとときだ」という継起の例を見てみましょう。 この文は、家に帰ってからの時系列で話が進んでいて、お風呂に入って、パジャマに着替えるという流れを受けて、そこからフェーズが異なる行動が自然な流れで続きます。前の文や語句の補足や因果関係を強調するために使われることがないんです。口語では「そして、どうなった?」みたいに話を促すときにもよく使うでしょ。 「そして...
Published 02/06/24
右と左という漢字の、1、2画目の書き順が違うのをご存じですか? 右も左も、腕と手首の先の象形なんです。横棒が意味するところが違っていて、右の横棒は腕、左の横棒は手首の先の部分を示しているんです。腕は手首の先より長いでしょ。だから、右の横棒は左の横棒より長く書くんです。カタカナのノのような左払いは、左の方が右より長いんです。辞書を見てみると形の違いがわかると思います。 で、短い部分は長い部分より先に書くというのが、右と左の書き順のミソ。だから右はノが1画目で、横棒が2画目。左は横棒が1画目でノが2画目になります。腕とは関係ないけれど、「布」や「有」は、ノが横棒より先。「在」は横棒がノより先。 ところで、律令制度の官名なんですが、左大臣と右大臣、どちらが偉いかわかりますか? これは、左大臣の方が偉いんです。一般的に「左」の方が「右」より上なんです。正面から見ると、左大臣は右側に位置していて、右大臣は左側なんです。これは、内裏いる天子から見ての左右なんです。この「左右」も、左が先でしょ。左が偉いんです。 ちなみに、京都の右京区、左京区も内裏・天子のいるところから見ての言い方です。...
Published 01/29/24
先日、新聞の投書を見ていたら、定年退職をして再雇用で働いている夫をねぎらおうと、日帰り旅行をした妻の話が載っていました。妻は夫のために、電車の時間や好物の料理などを調べたんだそうです。 ところが、夫は大荷物で出かけ、予定がどんどん遅れて、あげくに途中で立ち小便をするわ、電車では大きないびきをかいて寝てむせこむわ、の残念オンパレードだったそうです。ホテルでお茶をしようと思っていたら、安いチェーン店に変えられたり、夫は地酒を買うけど妻の欲しいものは聞かない。おでん屋で追加注文したものは全部夫が平らげる。それで蛙化してしまったんだそうです。 なんで蛙なんだろう、と調べてみたら、グリム童話の「かえるの王さま」に由来する心理用語なんですね。2004年に跡見学園女子大学の藤澤信介先生が「女子が恋愛過程で遭遇する蛙化現象」という論文から生まれた言葉なんです。 いまは、投書の例にあるように、...
Published 01/22/24
ぜいたくをせず、倹約に努めて質素に暮らすことを「つホニャララしい」って言うんですが、...
Published 01/15/24
4日に仕事始めだった方もいらっしゃると思いますが、4日が木曜なので、またすぐ土曜から今日まで3連休ですね。本格的な仕事始めはあしたからでしょうか。改めて、今年もよろしくお願いします。 僕は毎年、家族と3人で近くのお寺さまにお詣りにいくんです。そこで、お神籤を引いたら奇跡的に3人とも大吉でした。 「人相」とか「手相」なんていうことばがあるでしょ。この「相」ってどういう意味かごぞんじですか? 木偏に目と書く「相」は、もともとそれだけで占いの意味があったんです。「よく見る」っていうことを表していて、説文解字という中国の古い字書には、「易」に「地に見るべきものは木より見るべきなし」つまり「地上でみえるものは、木よりよく見えるものはない」って書かれているんです。 そこから姿や形を言うようになったんです。「人相」は、人の顔かたちのこと、「手相」は、手の指の形や、肉付きとか筋などの様子のことを言います。人相や手相をよく見ることから占うっていう意味になったんです。 「相」には「助ける」とか「互いに」とか「力を合わせる」っていう意味もあって、「相手」「相方」ということばも生まれたんです。「相...
Published 01/09/24
明けましておめでとうございます。 昨年はたくさんのリスナーの方に応援していただき、ありがとうございました。 本年も楽しいことばの世界をお伝えしていこうと思っています。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 ...
Published 01/01/24
きょうは25日、クリスマスです。そして、ことばランドは年内の締めくくりです。1年間お聴きくださり、ありがとうございました。 今回は、今年の「ことばランド」の総括をしようかと思います。 音楽ストリーミングサービスのスポティファイが「ことばランド」の分析をしてくれました。 それによると「2023年は、リスナーとこころが通じ合っていた一年でした」という嬉しい分析でした。今年のトップエピソードは33回目にお送りした「実は違う!小論文における「起承転結」の使い方。1000字の論文のバッチリ!目からうろこの活用方法、お伝えします」というものでした。これは、1月23日配信でした。 これを切っ掛けにリスナーが増えた、そうです。これまでの平均的なエピソードに比べて433%多く再生されたとのことです。 85%のリスナーが、今年から番組を聴いてくれたそうです。2022年6月13日から始めた番組は、3年ほど経って少しずつ裾野が広まった感じです。 ことばランドのリスナーが興味のあるジャンルは、1)教育、2)お笑い、3)社会&文化だそうです。お笑いが2番目に入っているのがいいですね。我々の番組も笑いを交...
Published 12/25/23
年末は、ジャンボ宝くじが発売されたり、クリスマスがきたり何かと財布の紐が緩むころですね。しかし最近は、キャッシュレスの時代ですから、大きな財布を持つ必要もありません。 財布を辞書で引いてみると、「金銭を入れる布・革などでつくった袋」とありました。袋っていうイメージはないですよね。 でも、冒頭で言った「財布の紐が緩む」っていう表現は、この袋から来ているんです。お金を入れる袋って、巾着袋のことなんです。かつては、これにお金を入れて持ち歩いていたんです。お金を使うときは巾着の紐を緩めてお金を出します。 ここから「財布の紐が緩む」っていうことばが生まれたのです。倹約するときには「財布の紐が固い」と言います。 いまの文化とは、少し異なることばって、結構残っています。 たとえば、筆箱、衣紋掛け、下駄箱とか。習字を習う人なら筆を使うでしょうけど、いまの筆記用具は鉛筆とかボールペンでしょ。パソコンなら筆記用具もいらないない時代です。衣紋掛けはハンガーのことだけど、さすがにこのことばを使う人は少なくなったかもしれませんね。下駄箱もそうです。学校では下駄履き禁止のところが多いと思うんだけど、下駄...
Published 12/18/23
「現代用語の基礎知識選 2023ユーキャン新語・流行語大賞」の表彰式が1日にありました。ことしは、プロ野球、阪神タイガースの今季のスローガンで岡田彰布監督が発した「アレ(A.R.E.)」が年間大賞に選ばれました。 38年ぶりの優勝は、みごとだったですよね。選手が緊張しないようにって岡田監督が言い始めたらしいんです。岡田監督が試合中になめていたという「パイン飴」の袋も、「パインアレ」になったそうです。 僕はちょうど優勝を決めた日に、大阪出張だったんです。天神橋筋近くのホテルに泊まっていたんですが、以外と静かだったんでびっくりしました。道頓堀の辺りは盛り上がっていたみたいだけど。 38年前は、道頓堀に飛び込む人もいたし、近くのケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースの人形が道頓堀に投げ込まれたり大変だったんですよ。今回は、警察が厳重にガードしていたから、そういうことはなかったみたい。 今年は、パ・リーグの優勝がオリックスだったし、サッカーJリーグ1部(J1)で初優勝を果たしたのもヴィッセル神戸でしょ。なんだか関西にごっそり持っていかれたような感じになりましたね。 そ...
Published 12/11/23
孤独にもいろいろあると思うんです。それこそ、手を差し伸べなければならないという場合もありますもんね。でも自分が何かをしたい、と思ったときに、周りから理解されないとか、妬みを買うとか、そういうものから生まれる孤独っていうものもあると思うんです。僕は、それには断固として耐えなくてはならないと考えているんです。 特に若い頃は、「世間をわかりもしないくせに」言われ、ある程度年を重ねると「いい年をしてそんなことを言うもんじゃない」とか言われるでしょ。世の中の常識に身を委ねるべきだっていう風潮。 周りの人の言い分って何万通りもあると思うんです。だけど、ここが肝心なんだけど、誰もそのことばに責任を持たないっていう事なんです。最後に責任を取るのは自分自身だと思えば、周囲を気にして前に進めないのはもったいないですよね。 とはいっても、人はそんなに強くない。めげるし、しょげるし、よれる。僕はそういうときにいつも、野球の野茂選手を思い出すんです。野茂選手は、日本で初めて大リーグに渡った選手です。1994年に、大リーグでは、年俸の抑制を理由に野球がストライキに入りました。ストは1995年にも影響を...
Published 12/04/23
コーチングっていうことばを、聞いたことがあると思います。1960年頃から、アメリカで広まったようです。目標を達成するために必要な能力や行動をコミュニケーションによって引き出すビジネスパーソン向けの能力開発の方法のことです。 コーチって馬車が語源です。馬車は乗っている人を目的の場所まで送り届けるのが役目。そこから、目標達成を促して支援する人をコーチと言うようにりました。ハンガリーのコチという町の名前に由来するらしいです。バッグのブランドにもありますよね。これはアメリカが発祥です。1941年、6名の職人たちがニューヨークで創立したのが始まりです。 コーチというと、スポーツ競技の指導者が浮かびます。自分が習得した技術を選手に教える人で、鬼コーチなんていうことばもあるように、何となく怖いイメージもあります。 だけど、コーチに必要なのは教える事ではないんだそうです。対話によって目標や実現可能性みついて、本人が考える機会をつくって気づきを与えることだそうです。 目標への道筋はいくつかあります。だけど一人で考えていると、迷い道にはいりこんで抜け出せなくなったっり、目標自体を見失ったりしま...
Published 11/27/23