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序)詩篇~たましいの滑走路~ ・詩篇のことばは祈りであるので、永遠不変の真理命題とは限らない。 ・病気は罪の結果だと教えるものではない。 1)病気と罪の関係~堕落前から病気はあったのか~ ・堕落以前から「従えるべきもの」があったことが創世記1:28 からわかる。人間が創造の仕上げであるから、病原菌類はその前に創造されている。 ・「毒草」も堕落後の産物とは言えない。人間が従えられないと害を及ぼす。 ・堕落は、神との関係の断絶により、神の知恵を受けることを阻害した。その結果、従えることが困難になった。けれども不可能ではない。 ・堕落の結果、罪ゆえの病というものが生じたことも事実。それで今日、病は弱さ、自分の罪、他人の罪、不可抗力等の絡み合いで訪れる。 2)病の中で神の目的を探す ・詩篇 38...
Published 06/02/24
序)ヘブル人への手紙概観 ・差出人も受取人も不明 ・イエス・キリストが唯一の完全な贖いを成し遂げた。 ・このイエスは宿営のそとで苦しみを受けている。 →私たちも宿営の外に出て、みもとに行こう。 A)来るべき都 ・来たるべき都は、この宿営の中からではなく、宿営の外から始まる。 →イエス・キリストの十字架から始まる。 ・住み慣れた宿営の改善やアップデートではなく、十字架のみもとへ行こう。 B)都に目を向けるための具体的な 4 つのすすめ 1. 賛美のいけにえをささげる ・賛美の姿は、内外に(自分にも他者にも)自分が大切にしていることを明らかにする。 ・来たるべき都の王様が誰なのかを賛美を通して知る。 2. 善を行い、分かち合う ・賛美と祈りを捧げたような行いが伴う。良いものは分かち合われていく性質のある福音。 ・あなたがクリスチャンでよかったと思われる善の行いと分かち合いとはなんだろうか。 3....
Published 05/26/24
序)ペンテコステ=人類最大のお祝いの日 ・ペンテコステ(50 の意味)=五旬節、イースターから 50...
Published 05/21/24
序)コリント人への手紙第一 9章のテーマは「自由」 ・後半は、過去の傷から自由になり、傷が絆を生む伝道の話として扱ったが前半は、人間との経済的依存関係からの自由がテーマになっている。 ・夫婦等で経済によって相手を支配し、依存関係をもたらすことは起こり得る。これが教会に忍び込む危険があった。 1)パウロの「パトロン」になろうとしたコリント教会の富裕層 ・当時「パトロン-クライアント関係」(富と名声の互恵的関係を結ぶ人間関係のあり方)というものが社会で一般的だった。 ・パウロはこれを拒否したので、コリント教会の一部はパウロの地位を下げる動きまでする。これに対し、パウロは自分の使徒のしるしを弁明し(1節~3節)4節からなぜ、パトロン関係を結ばないのかを説明する。 2)パウロの主張①「権利がないから断っているのではない」 ・教会のために働いたのなら、教会のお金で暮らす権利はある。 ・コリント教会のお金には「紐」がついているから、断っている。 ・11...
Published 05/12/24
序)福音はすべての人を神様の計画の主役にした ・「異言」=「グロッサ(舌)」はペンテコステの最初の聖霊のみわざであり、福音が全人類、全言語のものとなったことの印である。 ・使徒ペテロは「青年は幻を~老人は夢を」「しもべ、はしため」というように年齢も社会身分も関係なく、すべての人がイエスと共に主役になったことを語った。 1)「グロッサ(異言)」競争に翻弄されたコリント教会 ・福音のもたらす世界は、みんなが主役で、みんなが脇役。しかし、この世は選ばれたエリートを主役にしたがる世界。「グロッサ」の賜物が、エリートの印と考えたコリント教会は混乱に陥っていた。 ・「私は、あなたがたがみな異言で語ることを願います」は、キリスト者が異言を求めるべきと言う根拠ではない。自分しか成長させない異言で自分を育てて、教会を成長させる大人のスタートラインに立てという皮肉。 ・異言によっては人は救われないし、成長させることもない。意味の解らない言葉では神の恵みはわからない。通訳者不在なら黙ること。 2)愛という御霊の賜物を求めよ! ・1...
Published 05/05/24
序)福音からの逸脱~経済格差の助長、貧困の放置~ ・十字架と復活の前後には食卓の場面が多い。昇天後も、弟子たちは食事のたびごとに目に見えないホストであるイエスの食卓に連なっていることを覚えた。ここに「交わり(コイノニア)」が生まれた。これが教会の原点である。(使徒 2:42...
Published 04/28/24
序)福音=十字架+復活(神がキリストを通してなさったみわざ) ・十字架は、人間が無条件に愛されていることを伝える。 ・復活は、神の愛を受けた者が、古いものから解放され、新しくされる希望を示す。 1)伝道は、「説明」ではなく「変化」によって「伝える」こと ・人が神様に向かうのは、説得されることではなく、人の本当の変化こそ、福音の証しである。 ・「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。」は「ユダヤ人にわかるように語りました」ではない! ・聖書的な伝道は、誰もが幸せになれる。宗教的な勧誘や、布教は不要! 2)どこに向かって「変化」するのか ・復活の光のもと、どのような「新しさ」に向かっていけばいいのか。 →過去の傷、負い目、コンプレックスから解放されること、自由になること。自分のすべてを受け入れ、神と人を愛するために用いていただく。 ・「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。」~「「弱い人たちには、弱い者になりました。」には違和感がある。パウロは生粋のユダヤ人であるし、弱さ(おそらく病気)は選びようがない不可抗力である。 →この違和感に、私たちの目指す「新しさ」がある。パウロは...
Published 04/21/24
序)「福音」は何をもたらすのか ・「福音」は「偶像礼拝」からの解放を全人類にもたらす。 ・聖書の言う「偶像礼拝」とは異教の礼拝儀式や宗教的慣習に連なることとは次元が違う。正統的キリスト教の礼拝に参加しつつ偶像礼拝者となることは誰にでも起こり得る。 1)偶像礼拝者は「滅ぼされる」とは? ・パウロは、出エジプトの出来事と福音による出来事を重ねながら語る。 ・神様の恵みは十分だったが「彼らの大部分はみこころにかなわず、荒野で滅ぼされた」とあり、偶像礼拝に陥るなら神の民は滅ぼされると語る。 ・「滅び」とは、永遠のいのちが取り上げられることではない。教会として機能不全になり、神の子としての使命が果たせなくなるということ。そのようなキリスト者の集いを神は忍耐されるが、畳むこともある。 2)聖書の言う「偶像礼拝」とは何か? ・偶像礼拝の入口は「不安」である。(出エジプト記 32 章...
Published 04/14/24
序)「福音への応答に力を集め」るために ・「福音」をキイワードに御言葉を学ぶ 7 週間を過ごす。 1)「福音」とは何か。 ・Ⅰコリント 15 章 1 節~に明確な定義がある。福音とは神がキリストにおいて行われた事であり、エッセンスは十字架と復活である。 ・福音=福音書といって差し支えない。これを「聖書(=旧約)に書いてあるとおり」理解する必要がある。 ・新約聖書に収められている福音書以外の文書は、大まかに言って福音からの逸脱に対応するために書かれている。 ・Ⅰコリントは「生活における複雑なすべての問題を『福音』というレンズを通して見直す」ことを求める書物である。 2)「福音から生まれたもの」は何か。 ・「新しい人(人類)」と呼ばれる聖霊を宿した人間共同体(社会)である教会が、福音から生まれたものである。イースターからペンテコステの7...
Published 04/07/24
序)イエス・キリストは死者の中からよみがえった! ・イースターとは、私たち人類が「新しいいのち」に生きることができるようになった日である。 1)「古いいのち」とその特徴 ・「死なないように生きる」こと、「死ぬまで」に、このいのちをどうするかに心砕くこと、それ自体は問題ないのだが、死を恐れるあまり「自分を生かすために、他者から奪う」生き方をしてしまう。これが「古いいのち」 ・「古いいのち」の特徴は「してもらう幸せ」を追求すること。欠乏感を満たすことに動機づけられた生き方。他人に左右され、罪の奴隷に陥る。 2)「新しいいのち」とその特徴 ・「人を生かすために、自分を与える」パターンを生み出す。「してもらう幸せ」から「していく幸せ」を追求するように変わっていく。 ・「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。」ルカ...
Published 03/31/24
序)へブル人への手紙について ・差出人も、受取人も不明 →差出人は、パウロや使徒たちから学んだ人だった。 →受取人は、当初の熱い信仰を失い、迷い始めていた。 ・キリストがいかに偉大であったか、完全であったのかを旧約の登場人物と対比させて語る。 ・倣うべきは、信仰者の型ではなく、信仰者が見ていた信仰。 1)変わらないキリストと変わった祭壇(8 節~11 節) ・食物規定は、食物ごとに変わるが、イエス・キリストはとこしえに変わらない。 ・祭壇は、幕屋からイエス様へと変わっていた。 2)宿営の外と中(12 節~13 節) ・宿営の外で捧げものは焼かれたように、イエスも門の外で苦しみを受けた。 ・宿営の中には、自分の安心できる環境や、自己防衛的な部分があるかもしれない。 ・自分の罪や十字架を負って宿営の外へ行くことが、イエス様のみもとに近づくことである。 3)来るべき都(14...
Published 03/24/24
序)詩篇 37 篇は歌付きの箴言(知恵のことば) ・聖書のいう知恵とは IQ ではなく EQ=心の知能指数(「自分自身を動機付け、挫折してもしぶとく頑張れる能力、自分の気分をうまく整え、感情の乱れに思考力を阻害されない能力、他人に共感でき、希望を維持できる能力」)に近い。完全な EQ は神様を信じることなしに成立しない。 1)知恵のことば(箴言)を理解するために ・短い格言形式の知恵のことばは、包括的で絶対的な真理ではない。使いどころを間違えると悪い結果になる。(箴言 26:9 参照)知恵を適用するためには状況把握が欠かせない。その能力こそ知恵の一部である。 ・例1:32 節は「正しい人(信仰による義人=アブラハムの信仰に倣う者)」であってもいのちの危険はあるという一般論である。 ・例2:1,7,8...
Published 03/17/24
序)十字架当日の朝 ・ピラトの前の裁判において「イエスとは何者なのか」「主イエスの弟子の道とはどういう道か」の 2 つのテーマが両方とも扱われる。 1)イエス様は、口を開かない「受難のしもべ」 ・イザヤ53章6-7節の預言をふまえると、イエス様はご自分が、イザヤの預言した受難のしもべであることを証ししている。 2)イエス様は「ユダヤ人の王」なのか。 ・15 章にはピラトの問いを皮切りに「ユダヤ人の王」という言葉が頻出する。この問いにイエス様は「あなたがそう言っています」と答える。 →これは意図的にあいまいな返事であり、これがマルコが伝えるイエス様の最後の言葉。ピラトはこの答えを繰り返し考えることになった。 ・「あなたがそう言っています」は、本当に自分でそう思っているのかという問いかけにも聞こえる。 ・「あなたがそう言っています」には、ピラトの考える「王」とは違う「王の道」があることをほのめかすようにも聞こえる。 →ピラトの戸惑いは、私たちへの問いかけとなる。 3)主の沈黙は、御国をもたらす主の弟子の道 ・イエス様の最後の言葉と沈黙はマルコの福音書 13 章 11...
Published 03/10/24
序)「イエスの弟子の道」を行く者のシンボルとして ・ペテロはただの登場人物ではなく、主の弟子の典型的シンボルの存在。彼に私たちは自分を重ね、イエス様と彼のやり取りからイエスの弟子の道を学ぶことができる。 1)イエス様を「捨てられなかったペテロ」? ・ペテロは一度は逃げたが、考えを変えて大祭司の庭に紛れ込む。解放された場合に、真っ先にお迎えにあがりたいと思っていたかもしれない。 ・「大祭司の召使いの女」の質問から急にペテロにスポットが当たってしまう。部屋ではイエスの裁判、中庭ではペテロの裁判が始まる。 ・「再び否定した」=「再び否定を始めた」であり、繰り返す中でガリラヤ訛りが露呈して、周りの大人に加勢される羽目になる。 ・やがて、呪いをかけて「誓い始め」、ペテロは自分の人生からイエスの存在を消し去る。二度目の鶏の鳴き声が、この誓いを止めさせる契機になる。 2)自分を「捨てられなかったペテロ」 ・この物語に救いはあるのか?反面教師としての学びは無効である。気をつけて気をつけられることではない。ペテロには覚悟もあった。 ・弟子の道は「あなたはキリストです」と告白すると...
Published 03/03/24
序)説教者の小さな後悔 ・受難物語(14 章~)は、そこまでのマルコの物語において用意された「伏線」が回収されていく。それを無視して説き明かすことはできない。 1)イエス様の「沈黙」といのちを左右する「問いかけ」 ・61 節「イエスは黙ったまま」とは、ここまで繰り返されてきた「沈黙命令」の伏線とつながっている。1:25、1:44、5:43、7:36 他 ・「十字架を知らずに、イエス様をわかったつもりになってはいけない」というマルコからのメッセージだが、その十字架が迫り、沈黙が破られる。 ・8 章...
Published 02/25/24
序)受難物語のふり返り ・イエス様の受難物語(14 章 1 節~)は油注ぎを受け、ユダの行動に抵抗し、最後の晩餐、ゲツセマネを経て、いよいよ逮捕(引き渡し)に至る。 1)「さあ、行こう」への驚き ・イエス様は受難の道を一人で進もうとしていないことに気づく。 ・8 章 34節をそのまま読めば、これは驚くことではない。「自分の十字架」とはイエス様と一緒に十字架にかかることを意味した。 ・当時の弟子たちは、この呼びかけに答えられなかったが「さあ、行こう」との招きは、今も私たちに向けて発せられている。 ・「天国行きの福音」としての罪の身代わりは十字架で完了するが、「御国の福音」は十字架から始まり、イエス様と共に受難の道をなぞるよう招く。 2)御国への道は「誰かに利用される」ことがあり得る(43 節~) ・ユダはこの「引き渡し」で金を得、群衆も何かの得をし、ユダヤ社会の権力者たちは、ローマに自分たちを売り込むことができた。 ・ユダは 3...
Published 02/18/24
序)クリスチャンとは? ・クリスチャンとは、どのような人のことを言うのでしょうか。 ・クリスチャンであることを示すものは何でしょうか。 1)天の御国に入る人とは? ・「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではない。 ・イエス様の名によって預言し、悪霊を追い出すという、誰から見ても、イエス様を信じる者に見えることをしている者が「わたしはおまえたちを全く知らない」と言われる可能性がある。 2)父なる神様のみこころを行うとは? ・24 節~27 節のイエス様のたとえ話が伝えたいこと。 ・イエス様のことばを聞いて行う者とイエス様のことばを聞いて行わない者の違いがある。 ・イエス様のことばを聞いて、ルールを順守するような気持ちで正しく従っていれば、行うことになるのか。 3)信仰生活の土台となること ・イエス様のことばに自分自身が心開き、向き合うこと。 ・人に見えない、分かりづらいところが、かえって大切であり、イエス様は見ておられる。 結)私たちの心には、イエス様への感動や感謝はありますか?
Published 02/11/24
序)預言者エレミヤの言葉 ・エレミヤの語った言葉は、多くが痛みと悲しみを伴うものだった。 ・「痛い言葉」の中に、確かに生きている神のメッセージが届けられている。 1)欺きのただ中で ・8 章では、イスラエルの民の滅びの宣言がなされ、その民の負う傷を思い、エレミヤも傷つきうなだれていた。9 章はその続きであり、エレミヤの涙の預言が続く。 ・なぜイスラエルの神、主はご自身の民であるイスラエルを滅ぼそうとされるのか。その理由の1つは欺きが満ちていること。 ・「欺き」の内実は、主を知ろうとしないことにあった。民は主を知っているつもりであったが、目に見える強い国に信頼を置いていて、主に信頼することをせず、主に耳を貸さない民となっていた。 2)主の嘆き、民の嘆き ・民の滅びの理由のもう 1...
Published 02/04/24
序)「キリスト教都市」は遠くて近い目標 ・「キリスト教都市」は「御国が来ますように」を現代社会に適用した言葉 ・使いやすい言葉だが中身のイメージはバラバラ→神の国が人には捉え難いゆえでもあり、聖書によって内実を教えられ、すり合わせながら歩むことが重要。 ・中身に目を留めるとき「キリスト教都市」=「永遠のいのちが注がれる場所」は教会の交わりの中に始まっていくべき近い目標となる。 1)「幸せと楽しさ」はどこに? ・この詩篇では「ともに生きること」=「生活そのもの」が幸せで楽しいことが、神の恵みとして歌われている。非日常のエンターテイメントは否定されないが、ここでの主題ではない。エンタメ消費は、ベーシックな生活の底上げをせず、逃避的になるなら、悪の温床にさえなってしまう。 2)「兄弟たち」とは誰か? ・「兄弟」とは「親を同じくする子どもたち」であるが、拡大家族が一般的な社会では「大人になっても連来して暮らす関係」であり、土地を分け合って隣り合って暮らす家族の代表同士を指している。 ・「兄弟」というのは互いを互いにライバルに思ったり、ずるいと感じたりする複雑な関係にあり、一つになるこ...
Published 01/28/24
序)コミュニケーション―皆がうめく悩み ・平和と幸せを生み出していくには、コミュニケーションにおける成長が必要であり、神様とのコミュニケーションから始めることが大切。 ・神の国において聴覚障害は癒される。しかし福音はそれ以上のことを語る。 1)癒しを耳から始める主イエス ・「手を置く」ことを求められたが、イエスは3段階で応えられる。 ・第一段階は「連れ出し」「指を両耳に入れること」であり、連れ出すことで、この人の癒しを「見世物」にすることから守られる。 ・耳を先に癒すことで、コミュニケーションの改善が「聴く」ことから始まることが示される。それは、神、隣人、自分自身へと適用される。 ・聴く力の改善のために、イエス様と一対一の時間をもつことは重要。 2)口を開けるのを待たれる主イエス ・「唾」には、癒しの力があるとは、古代人の常識。人物の力によって癒しの力も左右されると考えられていたので、イエス様の行動は自然。 ・「その舌にさわる」ためには、彼自身が口を開かないといけない。イエス様の働きかけに集中し、これに従順に応えることが癒しを受ける前提にある。彼自身の自発性が問われている。(...
Published 01/21/24
序)物語の舞台「ツロの地方」 ・「ツロ」…ガリラヤ北西沿岸にある港町、ユダヤ人の土地ではないが、没落したユダヤ人たちが小さな農村を築き、ツロ富裕層と領主と小作人の関係にあった。飢饉になると農民たちから穀物は取り上げられた。パリサイ人たちにとっては「汚れた土地」だから人目を避けるのには好都合だった。 1)名もなき女性のプロフィール ・「ギリシア人で、シリア・フェニキアの生まれ」という表現から、それなりの社会的地位が伺える。イエスの噂も抱えている農民奴隷ユダヤ人から聞き出したに違いない。 ・「悪霊」のことを「汚れた霊」とわざわざ表現しているのは、直前の物語とのつながりから。この娘の生育環境が「汚れ」でいっぱいだった。ということは、この女性に何らかの問題があったことが推察できる。 2)悔い改めと信仰を引き出すイエス ・「あなたは許さなくてはいけない」というのが原文で冒頭に出てくる。「最初に子どもたちを養うこと」はこの女性も行っているという前提が浮かび上がる。ツロによる搾取が背景にある。 ・「子どもたち」「小犬」という差別はイエス様から始まっているのではなくツロの「高ぶり」...
Published 01/14/24
序)パリサイ人の源流 ・旧約聖書と新約聖書の間の約 400 年間で登場。 ・建て直された神殿に主の栄光が戻って来なかったのは、神の戒めを守ることが徹底されていないからだと考え、律法の研究が始まった。 1)霊的な清潔さを求めて ・レビ記にある儀式的な汚れときよめの規定は、祭司たちのためにあったが、パリサイ人は、これを一般人にまで拡大した。その結果、聖書には書かれていない慣習「昔の人たちの言い伝え」が生み出された。 ・霊的な清潔さを求めたパリサイ人には落とし穴があった。多くの脱落者が出て「罪人」として切り捨てられることになった。...
Published 01/07/24
序)主をほめたたえよ!(1 節) ・新しい年が。私たちの心に賛美が満ち、口から賛美があふれる日々になることは、神様の願い、私たちの願いである。 1)人間のスケールを越えた世界を治める神(2~5 節) ・古今東西、人間は太陽を神として拝むことが多くあった。神は太陽より大いなる方である。 ・古代の人々は、空に浮かぶ雲や、星は、透明の天井に載せられていると想像した。世界が、水、風、火、大地の四元素で出来ていると考えた。その認識の正しさを聖書は評価するものではなく、すべてが、神様の支配の中にあることを歌う。 2)「大水」を一喝し、いのちの水を巡らせる神(6~13 節) ・「大水」とは世界を破壊してしまうほど強い、強すぎる水の力。 ・「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。(創世記 1 章 9 節)」との雷のような一声で、いのちの宿る安全な大地が出現した。 ・満潮と干潮を繰り返す不思議に、世界を守る神の御手を見る。 3)食生活、住居、農業のリズムも創造の中に(14~23...
Published 01/01/24
序)素晴らしい瞬間にも残る問題 ・5000人の男たちに愛される食事体験を与える奇跡に参加した弟子たちに、休息の必要性は残っていた。 1)主イエスの「無理やり」その理由~岸辺でもたつく弟子たち~ ・「無理やり」したのは「舟に乗りこませる」ことと「先に行かせる」こと。→「向こう岸のベツサイダ」に明るいうちに移動させ、休ませる意図。 ・けれども、弟子たちが抵抗したからこそ「無理やり」することになった。 →弟子たちが、この奇跡の食事からさらにすごいことを期待した可能性。 →イエス様を置いて、自分たちだけで行くことはできないという義理人情。 ・46 節「彼らに別れを告げる」の「彼ら」は弟子たちの可能性大。群衆の解散が終わっても、弟子たちは岸辺にとどまっていた。 →タイミング悪く向かい風となり、休息と静まりがさらに遠のく悪循環。 2)主イエスの知恵ある生き方~祈りのために山へ~ ・静まりと休息なしに動き続ければ、働きの効率もパフォーマンスも落ち、終わらない仕事の前に、静まりと休息は遠のく。怠けることも問題だが、休めないことも問題である。(伝道者の書 10:10...
Published 12/31/23
キリスト教たんぽぽ教会(2023年12月24日)のクリスマスイブ燭火礼拝2023メッセージです。 たんぽぽ教会 https://tanpopochurch.com
Published 12/24/23